―――  準備段階




 色とりどりの傘が校門へと集まり、散らばっていく。 
 その数もかなり少なくなった。 
 放課後のチャイムが鳴ったのは、もうだいぶ前のこと。 
「おれも帰りてえ…」 
 ガラス窓の向こうを下校していく生徒たちの様子を見ながら、トラップがぼやく。 
 ったくもう。さっきからずーっと、こんな調子なんだから。 
「早く帰りたいなら手伝ってほしいんですけど」 
「…手伝ったじゃねえかよ」 
「ちょこっとだけね! でもまだ仕事はこんなにあるの!」 
 バン! とプリントの山のうえに手を置く。 
 それなのにトラップはこっちを見ようともせず、ぼーっと窓の外へ目をやるばかり。 
 このぉ…役立たず! 

 教室の中には、わたしたち二人だけ。 
 窓際の片隅で向かいあって腰かけている。係の仕事で居残り作業をしているのだ。 
 修学旅行。 
 もうじき、そのイベントを迎えるために、わたしたちは大忙しなのである。 
 今は「修学旅行のしおり」を作ってる最中で。 
 日程表やら持ち物やら約束事やらが印刷されたプリントをホッチキスでとじていく。 
 え? そんなの簡単じゃないかって? 
 いやいや、そうはいってもね。量がハンパじゃないんだな、これが。 
 なのにトラップってば……プリントを職員室からここまで運んできただけで、 
「パステル、あとはまかせた」 
 なんつって帰ろうとしちゃうんだから! 用事もないくせに。 
 ひっしで腕をつかんで引き止めてやったけど。 
 結局なんにもしちゃくれない。 

 …こっちを見てもくれない。 

 湿った空気が教室いっぱいに溜まっている。 
 だけど、息苦しいのはそのせいばかりじゃないんだろう。 
 まあね。 
 トラップはわたしとちがって、好きでこの係を選んだわけじゃない。係決めのときに眠ってて。 
 目が覚めたときにはクラスメイトからの推薦(というか押し付け)で勝手に決定しちゃってたんだから。 
 やる気がなくてもしょうがないんだとは思う。 
 でも… 
 わたしは、トラップと一緒ってのが、うれしいんだけどな。 
 トラップは、ちがうんだ。 

 窓の外。雨の音、しとしと。 
 教室の中では、ホッチキスの音、ぱちぱち。 
 それからわたしの音、どきどき、ずきずき… 

 他には何もない。 

 長い、重い沈黙。 

 蒸し暑さのせいで流れた汗を手の甲でぬぐう。 

 すると、まるでそれを合図にしたかのように 
「パステル」 
 トラップが…口をひらいた。 
 やっぱりこっちを見てはくれないままだけど。 
「なに?」 
「……雨、強くなってきたな」 
 彼の視線を追う。 
「…そうね」 
「……おれ、傘持ってきてねえんだ」 
「…ふうん」 
「……これ以上雨が強くなっちまうと、走って帰んのはキビしーよなあ」 
「……………」 
 やっと、彼が何を言いたいのかわかった。 
 らしくもなく回りくどい言い方してくれちゃって… 
「つまり、今のうちに帰らせてくれってことかしら?」 
「……まー、そんなとこ」 
 こいつは。 
 そんっなに帰りたいのか。 
「心配しなくても、わたしの傘に入れてあげるわよ」 
「じょっ、冗談じゃねえ!」 
 顔を真っ赤にして、ぶんぶんぶんと首をふるトラップ。 

 ようやく。ようやく彼が、わたしのことを見てくれた。 

 だけどそれは、明らかな拒絶。 

「なっ…なによー! そんなに嫌がることないでしょ!?」 
「ちげ、べつに嫌とかじゃ」 
「もう聞きたくないっ」 
「聞けっつーの! おれが今どんだけてめぇのためにガマンしてやってると思ってんだ!?」 
「はあ!? 何それ、わけわかんない」 
「だぁーら…」 
「いいわよ、もう! 帰りたいんでしょ、さあどーぞ!」 
 彼に向かってホッチキスを投げつけてやる。 
 憎らしいことに身軽な彼はひょいとよけてしまったけれど。 
「よせ、ばか!」 
「うるさい、かば!」 
 もう、帰るなら帰っちゃってよ! 

 わたしが涙をこらえていられる間に。 



 ――そして。 
 彼は席を立った。 

 瞬間、また引き止めたい衝動にかられたけど、動くに動けない。 
 ふんだ。 
 かば、かば、かば! 
 呪文のように悪口を唱えて心を支えている間にも、彼の足音はどんどん遠のいていく。 

 と思ったら。 
 あれ? 

「ん」 

 ホッチキスを右手に拾って、戻ってきた。 
 肩の力がぬける。 
 ぼーっと彼の不機嫌そうな表情を見てたら、また「ん」と手を突きだされる。 
「ああ、はいはい。ありがと」 
 言ってから、つい今まで怒っていた自分がお礼を言うなんて、なんかマヌケじゃないかと思う。 
 思いながらもホッチキスを受けとろうと手を出して――― 

 かすかに触れる彼の指先。 
 彼のぬくもり。 
 そして、 
「旅行中に」 
「へ??」 
「……覚悟してろよ」 
 彼の低い声。 

 何を、と問う間もなく、トラップは教室を飛びだしていった。 
 …なにがなんなんだか。 
 結局彼は仕事をサボったことになるんだろうけれど…怒る気にもなれない。 
 涙もとっくに引っこんじゃった。 
 ほんと、わけわかんない。 
 だけど。なぜか胸が熱い。 




 窓の外。雨の音、しとしと。 
 教室の中には、わたし一人。 
 なのに、どきどき、どきどき、どきどき…… 

 校門へ吸いこまれていく赤毛頭。 

 それが見えなくなっても、まだしばらくはホッチキスを握りしめる手を動かすことができなかった。 
 ただ、彼に傘を貸せばよかった、ということだけを思った。 




 修学旅行は……もうすぐ。









――――――――――――

 パレアナ様に素敵なものをいただいてしまいましたっ!!
 私が何気なく言った一言で、学園版を書いていただけたなんて…とってもうれしいですvv 修学旅行の準備中のじれったい1コマですよ! トラパス好きにはたまらない一品でしょう♪
 本当にありがとうございました〜v











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